ブレーン企画:ロシア・東欧・CIS諸国旅行手配のエキスパート
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「バルト3国10日間のツアー」を利用して

バ ルト諸国にはあるこだわりがあった。まだ独立前の1988年、カナダのハミルトン(トロントとナイヤガラのちょうど中間)に行った時、あるイベント会場か ら見慣れない民族衣装を着た男女数人が出て来た。ぜひ写真にと頼んで、数枚撮らせてもらった。そこで何処の国の人かと尋ねたところ、私にとって聞きなれな い国の名であった。どの辺りかと尋ねたところ、ロシヤとポーランドの間という返事があった。私の頭の中にはその場所に国が無かったので何度も聞きなおし た。彼らは初め熱心に説明してくれたが、不審そうな私の顔を見てあきらめ、立ち去るその瞬間に言った言葉が「ボルチック・・・・」であった。はっと「バル チック・・・・」と気づいて、日本では「バルチック」と発音すると言い訳して別れた。しかしバルチック海は知っていてもそこに国があるとは知らなかった。 ソヴィエト連邦だという認識であった。その後、独立運動が盛んになり初めてバルト諸国の存在を知った。ドイツやロシヤに抑圧されてきた人たちのアイデン ティティを支えるシンボルを知らなかったことで、彼らに本当に悪かったという気持ちがしこりとして残った。そこで一度は彼らの国を訪ねたいとかねがね思っ ていた。

 

バ ルトへ旅行しようと決め、早速情報を得るため本屋へ行った。最初に気づいたのが交通の不便さで、列車で自由に移動するのが大変らしいと分かった。となる と、現地で利口なツアーを見つけて移動するのが便利かもしれない。そうこうする内に、案内書でバルトやその付近のツアーを扱っている旅行社を見つけ、先ず ホームページを開けてみて、「バルト3国10日間のツアー」に出会った。まず料金を見て悪くないと判断し、直ちにブレーン企画に電話を入れ、いくつかの質 問をして利用することに決めた。こちらの私の情報をメールで送り、後は出発日といくつかのオプションを選んで、料金を払い、出発日までに準備をした。

10 日間のツアーを順に追ってみよう。フィンランド航空を利用し、11時に関空を出て、ヘルシンキで乗り換え、タリンのホテルには時差の関係で17時過ぎに着 いた。夏時間で6時間の時差がある。その日の19時から第1日目のウエルカムミーティングが始まった。シャンペンを飲みながら、参加者の顔合わせ、各自の オプションの確認、諸注意などが若い男性(大学院院生)のツアーリーダーからあった。参加者は15人で、カナダ、オーストラリア、ベルギー、デンマーク、 そして日本からであった。全て感じの良い人たちであった。使用言語は英語かドイツ語かということで、結局英語と決まった。集合時間と場所さえ分かれば、あ とは日本語の案内書で事足りると思っていた。

第 2日目は朝9時にタリンを出発した。トイレ付の大型バスであったので、日光の射し具合で自由に座席の移動ができ、楽なバス旅行となった。全行程で出発は9 時と決まっていたので、その都度覚える必要も無く、また昼の食事は各自自由で、時間も1時間と決まっていた。リーダーは必要に応じて解説や説明をするが、 観光地で一緒に行動すること以外は個人の行動などに関して一切口出しはせず、この点も気楽であった。1632年創立の大学町タルトゥで1時間ほど歩き、昼 食の自由時間を過ごした。午後はエストニアから国境を越えてラトヴィアに入った。ヨーロッパ連合以外の国籍の者は念入りのパスポートチェックを受けた。国 境の町ヴァルガの中心に国境線があり、独立時に複雑な事情があったらしかった。ツエースィスで城址などを観光して、そこで泊まった。天候は快晴で気温が 35度以上の猛暑であった。このような天候は最終のタリンまで続いた。北欧でもこのような気温であったらしい。

第 3日目は少々強行であった。スィグルダ城址を30分ほど、さらにルンダーレ宮殿を1時間ほど見物して、昼食をとった。ここは観光客が多く、時間がかかるの で前もっていくつかのメニューから注文をしておいた。国境を越えてリトアニアに入った。パスポートチェックは前回と同様な方式であった。3国ともそれぞれ の通貨を利用しているので、交換が面倒であった。ヴィリニュスまで長距離のバスドライブが続いた。途中少し道をそれた所にトゥラカイ城があって、まだ30 分ほど観光の時間があり特別に料金を払うなら行けるというリーダーからの提案があり、全員賛成して実現した。湖上に浮かぶ美しい城であった。ヴィリニュス のホテルに入った時には、暑さと時差の影響で疲れ果てていた。

 

 

第 4日目はヴィリニュスの観光から始まり、午前中旧市街を徒歩で観光した。昼食後、カウナスに向かい、約1時間の旧市街の観光をしたが、連日35度以上の暑 さには全員がぐったりで、少々の自由時間では付近を探索する人も無く、木陰で休む人ばかりであった。夕方にクライペダに到着した。

第 5日目は終日フリーで、オプションの1日ツアーがあり、希望者はニダ方面への観光に出て行った。私は疲れが頂点に達していたので、それには行かなかった。 若い頃は、出来るだけ多くのものを観光したほうだが、長期のツアーであるので、午前中だけ旧市街とバルト海を自分のペースで見物した。翌日旧市街の観光が 予定されていたが、結果的に自分ひとりで回った方がいろいろ面白い所が見られた。バルト海の浜は遠浅で、沖遠くにいる人でも腰まで水が無かった。また砂が 細かく、パウダー状態であった。

第 6日目の午前は旧市街の1時間ばかりの観光をして、ラトヴィアのリエパーヤに向かい、ここで昼食をとった。リーガに向う途中、ソ連時代に軍関係者が多く住 んでいた地域を通ったが、独立後の荒廃した殺風景なコンクリートのアパート街が続いた。まだまだ傷跡が残っている。夕方リーガのホテルに到着した。

 

第7日目はリーガの観光であった。午前中は旧市街を歩いて見物した。午後遅くオプションで18世紀の農村風景が見られる民族野外博物館に行った。ソ連時代の農業集団化政策により伝統的な農村が破壊されてしまったこともあり、今は伝統文化の保存に熱心である。

第8日目はエストニアに向ってのドライブであった。国境を越えてからパルヌのビーチを訪れた。ここも遠浅でパウダーのような砂であった。クライペダのビーチと同じように女性専用のビーチがあった。夕方タリンに着き、バルト諸国をぐるっと回ってきたことになる。

第9日目は午前中タリンの旧市街の観光であった。この日に初めて空模様があやしく、ちょうど昼食時に路面が濡れる程度の雨が降った。午後からはオプションでカドリオルク宮殿を見物した。

 

第 10日目は朝食を済ませば終わりとなる。私の場合は、ちょうどこの日が土曜日であったので、関空への便が無く、もう1日余分にタリンに滞在した。午前中は 自由にタリンの旧市街を散策することが出来、昨日行かなかった所をくまなく回ることが出来た。グループでの観光はやたら時間の無駄遣いがある。しかしバル ト3国では公衆トイレの事情が悪く、リーダーが必要に応じて教えてくれたので、その点は楽であった。前日違って快晴であった。ホテルの料金がツアーとは別 であったので、相当高かった(ツアーの全体の料金から推測して)。

3 国の首都にある旧市街はユネスコの世界遺産に登録されており、もっとゆっくりと散策したかったが、猛暑の中、私の体力からして限界であった。現地発のツ アーであるので、日本発のものと比べて観光する地域はずっと多かったと思う。現地の人とも接触する機会は多く、またグループ内でもいろいろな国の人たちと 一緒であったので、海外旅行の意味は生かされた。出国から帰国まで日本語を話す機会は無く、日本の事情などを尋ねられた時、自分の意思を十分に相手に伝え ることの不便さを感じたことはあった。私として満足できる旅であった。

(山内弘継・京都市・72歳・無職)

 

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